numero 3
ポレンタ Polenta



 北イタリアの秋。遠くには雪におおわれたアルプスの山々、近くの民家からは暖炉にくべる薪の香りがしてきます。
 家の中では挽きたてのトウモロコシをパイオーロと呼ばれる専用の鍋で煮込み、ポレンタを作っている最中。もちろんトウモロコシは保存が出来るので、年間を通して北イタリアの主食となりますが、この季節のトウモロコシの風味は格別だといいます。まるで私たちがその年初めて新米を口に含んだ時のような喜びがこもっているからです。
 ポレンタの調理法は、煮立った湯に適量の塩を入れ、そこにサラサラとトウモロコシの粉を注ぎいれてから、あとはひたすらかき混ぜながら1時間ほど煮込むだけ。簡単であるだけに、材料の味がそのまま出てしまい、トウモロコシが美味しくなければ、よほど何かを加えて味を調整しなくてはなりません。そのため本場の人たちは粉の選別にとても神経を使います。
 ポレンタの起源は古代ローマ以前。当時は“プールス”と呼ばれ、スペルト小麦やソラマメを乾燥させて粉にしたもので作っていました。このようにポレンタとは料理名であって決して材料名ではありませんが、各地に残るそば粉や栗粉で作った物を押しのけて、特別に断り書きが無ければトウモロコシで作った物を指すようになりました。それは南米からきたこの植物が寒さに強く、荒地でも育つためでした。当時のアルプスの生活を描いた物の中に、塩ダラをテーブルの上に吊り下げ、ポレンタにその塩だけをつけて食べていたという絵が残っています。その貧しさの中、もしこれでトウモロコシが無ければ生活はどうなっていたでしょうか。パンを作る小麦が育たない地方のことです。つまりトウモロコシはアルプスに住む人々を飢餓から救った食材といっても過言ではないのです。そのため特にアルプスの人々は、今でもポレンタに特別の愛着を抱いています。
 その北イタリアで美味しいポレンタに遭遇したのは、日本から到着したばかりのある日曜日でした。朝、近くの丘に散歩に向かった私たちは、麓でゼッケンを付けたたくさんの人に出会いました。中の一人が「これは美食ラリーのメンバーなの。コースの途中にある村には、それぞれ前菜やプリモピアット、デザートを用意してあって、ラリーをしながら味わうのよ。一緒に行きましょうよ」残念ながらその日はホテルでの食事が待っていましたので、申し出を断って私たちは彼らとは反対方向に向かって歩き始めました。道の途中には野生のタイムや食用にもなるホップの蔓があり、それをつんだり、はたまた野生の栗をむいて食べたり…そして最初の村についた時になにやら人の声が聞こえ、煙が見えてきました。「何をしているのですか」まあ、ドラム缶を切って作ったかまどに大型のパイオーロをのせて煮込んでいるのは、紛れも無くポレンタです。腕っ節の強そうな山男がこげないように、ゆっくりとかき回し続けています。
 美食ラリーのコースを反対側から回ってきた私たちは、ゴール地点に来てしまったのです。もちろん今回の丘歩きはここでおしまい。こんな素敵な景色に遭遇したら、足を止めない訳にはいきません。「ところで、これを食べさせてもらえますか」そして私たちの前に現れたのは紙皿に山と盛られた、出来立てのポレンタ。あわせるのはトロリと溶けたゴルゴンゾーラと、この地方独特のタッペルッコと呼ばれるロバ肉のラグーです。
 澄み切った秋の陽射しの下、山の清浄な空気をとともに食べた熱々のポレンタはかすかに煙の香りがして、心底幸せな気分になりました。もちろん、水のようにガブガブ飲んでしまった差し入れ地ワインの酔いも手伝っていたのですが。

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