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「ピエモンテの取材を終えて」
井川 直子 7月1日に、『麗しの郷 ピエモンテ 北イタリア 未知なる王国へ』(昭文社)という、ピエモンテ州のガイドブックを刊行した。私は飲み食い部門の3・4章を担当したが、本書のあとがきに書ききれなかったことを、ちょっと。
名前はロマーノ・レヴィ。 彼のグラッパは、戦前からの直火蒸留式。一枚一枚手描きのエチケットが可愛く、画集も発売されているほど。電話のない工房で、気に入った人にしか売らないともいわれ、確立された販売経路がない。 そんな伝説的な逸話の数々が、コレクター達を夢中させる。 日本のイタリア料理店やバーで、ズラリとコレクションしてあるのを見たことのある人も多いだろう。日本だけではない、イタリアの地元でも、酒屋の地下やワイナリーの片隅に、必ずと言っていいほど“非売品”のそれが鎮座していた。 このグラッパを知ったのは、『イタリアに行ってコックになる』の取材時だから、2002年の春だったろうか。出会った日本人コックの一人が教えてくれたのだ。 「レヴィさんのグラッパ、飲みましたか? ちょっと変わった人で、独特の造り方してますけどね、美味しいですよ」 修業先の近所でちょこちょこ遊びに行くらしく、彼は淡々と、平熱で話す。 帰国後、ネットで調べてみると、数千円のものが日本で買えば数万円で販売されていて驚いた。コピーには「幻のグラッパ」と書いてあった。 好きな物をコレクションするのはかまわない。 でも、日本ではとかく「幻の○○」という言葉を簡単に使い過ぎるような気がして、私はいつも少しばかり違和感を抱いてしまう。 いいのかな……。そんな後ろめたさがはりつくのは、なぜだろう? レヴィのグラッパだけではない。チーズのカステルマーニョも、ロビオラ・ディ・ロッカヴェラーノも、スローフード協会のプレシーディオに指定されているような食品は、日本ではまず「幻」という冠がつけられる。 そして思わず飛びついてしまうのは、何の店かわからないまま行列の最後に並んでしまう感覚に似ている。 その時、私たちは想像力を失ってはいないだろうか。 「幻」の背景にあるもの……どこの土地で、どんな人が作っているのか。気候や地形はどうなのか。いつ、なぜ、それが生まれたのか。 その「幻」は自然と人の営みが積み上げてきた必然の存在である、ということを、お取り寄せ時代の私たちは忘れかけているのかもしれない。
イタリア全域で言えることかも知れないが、ここピエモンテでも、手をかけ時間をかけた「幻」がそこかしこにある。 リストランテでは自家製の酢や果実酒、コニャなどを造り、ランゲ特産の8列トウモロコシでポレンタを練る。ポレンタ粉も小麦粉もいまだに石臼で挽いている製粉所、ヘーゼルナッツの皮を薪に使って焼かれるパン。 私たちの「幻」はここでは日常だ。 もしかしたら、「幻」に熱狂するのは、日本での生活にそれがあまりにも失われていることの裏返しなのだろうか。 だから、旅に出よう。 自分たちが食する美味しいものが生まれる場所に行ってみよう。 本書の裏メッセージには、そんな思いも込めてみた。
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