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「幻のパンナ・コッタ」
フードライター 宮本さやか
何年も前の話になるが、イタ飯大ブームの日本で「ポスト・ティラミス」なんて言われてパンナ・コッタが登場したときも、「うーん、まあまあおいしいけど、でもティラミスほどのパワーはないなあ」という印象だった。 イタリアに来てからも、パンナ・コッタとは「どこにでもある定番のドルチェ」で「まずくもないけど、特にこれといった特徴もなく」、でも「生クリームがどっしり重いので夏にはちょっと遠慮したい味」だし、ひどいことに「ゼラチンの入れすぎでムチムチに固い」ものが一般的だった。だからあの「幻のパンナ・コッタ」に出会うまでは、パンナ・コッタなんてまず、私の中ではオーダーしたくないドルチェの筆頭に上がっていたのだった。 本題に入る前からいきなり余談になるけれど、イタリアの一般的なコックさんたちは日本人の料理人のように細かいテクニックや知識がないので、ゼラチンを沸騰させると固まる力が弱まる、ということを知らない人が多いらしい。友達の日本人コックさんが修行していたレストランでパンナ・コッタを作っていて、グラグラ煮立てた牛乳と生クリームの中にゼラチンを入れるので、当然固まらない。固まらないからたくさんゼラチンを入れる。なるほど、カチカチしていておいしくないパンナ・コッタに仕上がるというわけだ。 さて、幻のパンナ・コッタ。なぜ幻かというと、ただなんとなく、幻というとすごくおいしそうだからそう私が勝手に呼んでいるだけで、その店に行けば必ず食べられる。その店とは、私の本の中でも書いた「アンティケ・セーレ」というオステリアで、質素な家庭料理がそれはおいしい店だ。最近はスローフードのおすすめオステリアにもなって、当日電話したのでは予約も取れないほどの大人気ぶり。 そのパンナ・コッタは形をとどめているギリギリの分量のゼラチンしか入れていないであろうという柔らかさで、皿の上で、空気が震えるたびにブルンブルンと揺れ動く。これをスプンですくって口の中に入れるとスーっと溶けて、生クリームのヘビーな臭味もこってり感もない。あるのは上質の生クリームのやさしい甘さとふんわりした喉越し。食べる人すべてを幸せにしてくれて、たとえそれまでの料理がまずくてもすべてを帳消しにしてくれるような、これぞデザートの正しい姿であろう、というおいしさだ。 パンナ・コッタもピエモンテ州の料理のひとつだ、ということを知ったとき、「別にたいした自慢にならないな」と思ったものだが、これを食べてからは「こんなにおいしいドルチェが我が州の発祥である」と鼻高々である。ピエモンテ州は日本人には今一つメジャーではないが、バロ−ロといい、白トリフといい、そしてこのパンナ・コッタといい、おいしいものの宝庫ではないか。おいしいパンナコッタが作れるのは、やっぱり生クリームがおいしいからで、それは牛のお乳がおいしいからに他ならない。 ある時、ある料理学校に通訳に行っていて驚いたことがあった。授業の題目はパンナ・コッタで、先生である「リストランテ・グイド」の三男坊が「重たいパンナを使うときは牛乳で薄め、重たくないパンナを使うときはそのままでもいい」といったので、私が「重たいパンナと重たくないパンナとは、どのぐらい乳脂肪の量が違うんでしょうか?」と質問してみると「重たいものは50〜60%ぐらいある」といったのだから驚きである。これが本当なら、フランスのダブルクリーム並みの、濃厚な味だ。これにたっぷりをゼラチンを加えて作ってしまうから、カチカチでムッチリした、やさしくない味のパンナ・コッタになってしまうのも当然だ。幻のパンナ・コッタの作者は、当然のことながらゼラチンの扱い方も知っているし、上質のパンナを、上手に使って、ていねいにていねいにパンナ・コッタを作っているのだろう。 イタリアへ、そしてトリノへ来ることがあったら、絶対に食べて欲しいものの一つが、この幻のパンナ・コッタなのだ。 |
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